活動実績

1960年代

1964年生活ほど世帯に年末の法外援護として、400円支給させる。
1966年自治体共闘会議の区交渉に参加、南京虫をビンに入れて持ち込み、殺虫剤を支給させる。
対区交渉して生活保護費の4月分を入学前に支給。
都生連第4回総会で500世帯達成の「拡大賞」を受ける。
「私の要求運動」とりくむ。
1967年革新都政誕生。老人医療無料化運動起こす。
1969年第7回足立総会。老人医療費無料化実現。

1970年代

1970年足立中野事件。第8回足立総会。
1976年初めてのバスレク。ニュースの定期発行。第9回足立大会。
1977年都営の家賃減免小集会、大きく広がり集団申請に取り組む。
足立大会にむけて会員拡大推進体制つくり、大きく進む。2ヶ月で150世帯拡大。

1980年代

1981年1,000世帯の会員に。
1982年守る会会員の墓完成。
1983年第21回足立大会。
1984年「生活保護世帯への見舞金打ち切り反対闘争」を組み、14回もの交渉。
全都の支援もうけ大闘争に。30周年には1,803世帯に到達。
1985年財政委員会確立し、本格的財政活動が始動。
1987年守る会事務所出来る。中期4ヶ年計画実践の1つ。
1988年3年ごしの運動みのり、緊急通報システム50台実現させる。
1989年電磁調理器172件、緊急通報システム141件、36班271人参加で集団申請。

1990年代

1990年電磁調理器に、なべ・ヤカン・フライパンをつけさせる。「白内障眼内レンズ」請願を否決(自・公・民)。6年間のたたかいみのり、敬老金が「生きがい奨励金」と名前を変えて復活。
1991年区議会に「白内障」署名提出(3,500人分)「白内障眼内レンズ」挿入手術に区の助成を区議会全会派一致で決議。
1992年国を動かし、白内障眼内レンズ保険適用勝ち取る。「私の要求」の成果として中高層都営住宅にエレベーターの設置が決まる。足立3基。
1993年住みよい街づくり運動として、3つの点検調査活動行う(都住・駅・バス停)、五反野駅エスカレーター実現。「私の要求」次々実現。エレベーター3基。
1994年シルバーカー実現へ196老人クラブへ賛同署名の協力要請。全区議会議員宅へ訪問要請。区議会厚生委員会として、「日常生活用具に加えるよう」都に要求することを全会一致で決める。
1995年区議会改選後、シルバーカー実現のために、区議会厚生委員宅を訪問して要請。厚生省交渉で、「日常生活用具」に入れると回答をうける。
1996年足立区長選で吉田万三氏当選。会員みんなで運動し、住民が主人公の革新・民主区政を実現。足立の歴史を変えた。
1997年「シルバーパス、老人医療費助成を、今まで通りに」の署名を駅頭、地域や団地でひろげ、老人クラブにもはらたきかけ、足立区選出の六都議会議員宅を訪問要請、都議選の争点に。制度を守った。
1999年江北班が「相談会」を始める。吉田区長を不信任再決議。区長選で吉田氏惜敗。再び革新区政をつくろうと決意。

2000年代

2000年石原プランによる都民の命綱の諸制度がバッサリ。怒りの座り込みや、会派への要請行動。都庁包囲の人間の鎖など、連日都庁へ押しかける。4団地(東栗原、花畑第3、保木間第4・第5)にエレベーター設置をと、足立区助役と交渉。設置の見通しつける。介護保険制度はじまる。福祉制度で無料だった高齢者の制度がすべて有料に。大変な負担となる。
2001年寒風の中、北千住駅頭に72名が参加。医療制度改悪反対の署名。怒りの宣伝行動をおこす。
介護保険利用料の減免はやらないと言っていた石原都政は11万の署名に押されて実施。
2006年老齢加算廃止。
老齢加算廃止に対して都に「審査請求」を提出。
第44回大会 会長石川千代子氏就任。
2007年「老齢加算の廃止は違憲」と東京地裁に提訴。
2008年「生存権裁判」東京地裁で敗訴。実態をみない判決。

2010年代

2010年高裁「不当判決」、最高裁判所へ上告。
都営住宅の玄関ドアノブがレバー式に。10年の運動で実現。
2011年東日本大震災がおきる。
西新井駅頭にて、震災募金活動。54人参加。
岩手にオルグ派遣。寺田さん、阿久津さん。
2012年最高裁判所・第3小法廷「不当判決」。
さよなら原発10万人集会」代々木公園に17万人が参加。足立からも50人超える会員が参加。
合同法要 27班から103人参加。
2013年「生活保護改悪法案」廃案に5月27日から6月26日まで、連日国会行動。運動の勝利。
足立区議会に「介護保険軽減制度の請願」を提出。15人で議会を傍聴、継続審議に。
生活保護受給者に保護費削減の通知が届き怒りが。不服の「審査請求」準備始まる。

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